先日、ホールで音楽を聴く機会がありました。
コロナ第7波と世間は騒がしいですが、そんな中でもコンサートやイベントは中止せずに開催されるようになってきていて、業界が通常運転に戻る日も近づいているかと期待を感じる今日この頃。
せっかくなので、感じたことなどを書き留めておこうと思います。
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優秀な若手音楽家の演奏
ひとつめは、『第41回 奏明会コンサート』
兵庫県出身の東京藝大4回生のみなさんによるコンサートです。
会場は兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール。
昨年も聴かせていただいた、県西出身の学生さんがお二人今回も出演されるので、今回もぜひ!と伺いました♪
↓前回の演奏会感想
こんなこと言うのもアレなんですが、昨今音大、芸大は人気がなく、正直なところ『入りやすく』なっている、というのはもう仕方のないことなんですよね。
もちろん、素晴らしく才能のある方もたくさんいらっしゃるけれど、かならずしも光り輝くものがなくても、まあ、入れてしまうし、卒業もできてしまう。
今に始まったことでなく、音大を出たからといって誰もが素晴らしい演奏ができるかというとそうでもなく、卒業したけどどうしようかな、という話も聞くし、音大卒ということでお仕事を依頼してみたけれど、、、ゴニョゴニョゴニョ…ということもよくあったりします。
毒舌なので小さい声で( ̄▽ ̄;)
しかししかし!
音大芸大が人気がないのは『将来食べていけるかどうかの不安』もさることながら、なんといっても『お金がかかる』ことが一番の理由。
ですから、やはり公立大となると激戦で、難易度は昔よりもむしろ上がっていると思われます。
前置きが長くなりましたが、国内の音楽・芸術系専門機関の最高峰と言えばやはり東京藝術大学なわけで、そこで学ぶための試験を突破したみなさんの演奏はやはりハイレベル!
技巧的な曲を鮮やかに演奏するテクニック、耳に心地良い音色、歌心。
それぞれの奏者さんそれぞれの魅力が伝わる好演ぞろいでした。
お一人ずつの演奏に対する感想は控えますが、そんなハイレベルな演奏の中でも惹きつけられる演奏、うまいけどあまり心惹かれない演奏というのはやはりあるんですよね。
イメージがあるかどうか
演奏の良し悪しを左右するために大事なのはテクニック、と思われることが多いかもしれませんが、それ以前に『今から出す音に対して、どんなイメージをもっているか』ということが大事なんですよね。
『こう演奏したいから、こう弾く』
もっと細かく言えば、
『音の立ち上がりはこう』
『フレーズのまとまりはこう』
『このフレーズの全体の中での位置づけはこう』
というイメージがきちんとあって、
『だから、こんな音色を出すためにこういうアプローチで音を出す』
という計画をもって音を出す。
ぐっと惹きつけられて引き込まれる演奏には、奏者の方のイメージがはっきりと感じられます。
一音たりとも無駄にしない、という気迫があるというんでしょうか。
音楽を演奏するには感覚や感性がもちろん大事なんですが、やはりそれだけではなく音楽の構成を把握して、自分自身が『解って』演奏しているかどうか、ということはとても大切なんですね~。
アンサンブルの場合は
イメージが演奏の質を左右する、という点では、ソロ演奏よりもアンサンブルや合奏の方がその差が大きくなるかもしれません。
もう一件、吹奏楽コンクールを聴いて思ったこと。
兵庫県吹奏楽コンクール 高校小編成の部
三田市 郷の音ホール
身内が小編成の部に出場したので、小編成しか聴いていないのですが、うまいチームって全員でひとつの音楽の流れを作っているんですよね。
一人一人が、自分のパート譜だけ見て、何拍目で音を出す、というような意識ではなく、みんなで形作るひとつの音楽の中で、いつ、どういう形で自分がそこに関わるのか、わかっている。
ごくおおざっぱに言ってしまうと、『音を聴く』ということになるかもしれませんが、その本当の意味は『今から奏でる音楽のイメージを聴く』ということになるのではないかと思います。
近隣の公立校に、
『あの先生は行く先々で結果を出す』
と言われる指導者の先生がいらっしゃいます。
公立校では顧問の先生の異動で強豪校のランキングが変動したりするのですが、その先生の指導は何が違うのか?
色々な要素があると思うのですが、一つ感じることは
音楽に対する価値観が共有できている
ということです。
音色、うた、ハーモニーなどを細かく確認する練習をされている。
それはとりもなおさず、音楽に対する価値観であり、イメージを共有すること。
それができているアンサンブルは当然、まとまりのあるものになるのではないでしょうか。
ひとりひとりの技量が優れていることも大事ですが、それだけではやはりチームとしての演奏が優れたものになるとは限りませんよね。
諸事情あり、ちょっと奥歯にものが挟まったような書き方になりました(;^_^A
昔むかし、大学院時代、幸運なことに岡田暁生先生のゼミで勉強させていただく機会があったのですが、ある時に『音楽は奏者の間にある』という趣旨の評論だったか何かについて取り上げられたことがありました。
当時はわかったようなつもりになっていましたが、今回コンクールで様々な演奏を聴いて、ふとそのことを思い出しました。
出典が分かれば、ぜひじっくり読んでみたいなと思うところですが、残念ながら思い出せないので、岡田先生の著書を読み直してみようかなと思います(‘ω’)